浅田次郎の時代小説のなかでも一押し!

●あらすじ・内容

万延元年(1860年)。姦通の罪を犯した旗本・青山玄蕃に奉行所は切腹を言い渡す。だがこの男の答えは一つ。「痛えからいやだ」。玄蕃は蝦夷松前藩へ流罪となり、押送人の見習与力・石川乙次郎とともに奥州街道を北へと歩む。口も態度も悪く乙次郎を悩ませる玄著だが、道中行き会う事情を抱えた人々を、決して見捨てぬ心意気があった。引用:文庫(上)カバーより

流人と押送人のキャラが対象的で、二人のかけあいから少しずつ二人の本当の人間性が見えてくるところが面白い!

●どんな本?(おすすめどころ・感想)

二人の主人公、青山玄蕃と石川乙次郎の会話やそれぞれの語りのなかから心に残った言葉やシーンを紹介していきます。

どれほど目を凝らそうと、世の中にはひとりだけ見えぬ顔がある。自分自身の顔ですね。旅の宿から乙次郎が妻のきぬへの手紙でつぶやく。自分はのんき者だと思うけど、玄蕃からあんたは気が細かすぎると言われ、つい考え込んでしまった乙次郎。いかにも19歳の青年という感じに好感がもてる。

・敵討ち。江戸時代は敵討ちが幕府公認されていた。敵討ちなんてしたくないのに、敵討ちの旅に出ざるを得なかった武家の次男坊。敵討ちなんてしたくないのにという思いをいだきながら、相手の顔も知らずに7年も敵を探す旅を続ける武士。なんて生きづらい時代だったんだ。

・仁義礼智信という5常の教えのうち「礼」という徳目の意味がいまだによくわからないという乙次郎。こんな事、今更誰にも聞けないとは思うが、こっそり玄蕃に訊いてみた。玄蕃はあっさりとこう答えた。「いいかえ乙さん。孔子の生きた昔には法がなかったのさ。礼ってのは、そうした結構な時代に、ひとりひとりがみずからを律した徳目のことだ。」目から鱗がおちました。今の時代にも言える事で、法さえ守っていればよしという風潮は人間を堕落させている。礼が廃れていってそれを補うために法ができてきているのだ。もし、一人一人が「礼」をもった生き方をしている世の中であれば法はいらないのかもしれない。

・「存外のことに、苦労は人を磨かぬぞえ。むしろ人を小さくする」真面目で神経の細かい乙次郎に玄蕃が押送の旅が終わるころにかけた言葉。前にも同じような事を言っている。あんたは苦労人ではなくて苦労性だと。本当の苦労はいちいち憶えていたら命にかかわるから頭が勝手に忘れるものだ。こういうことを乙次郎に伝えたかったのだろう。

●こんな人におすすめ

人生を変えたい人

時代が違うと言えばそれまでだが、玄蕃や乙次郎と彼らが道中出会うさまざまな身分の人たちの人生をみると、令和の今って自由に生きられるんだって思えてくる。

人生に悩んでる人

道中で乙次郎に語る玄蕃の話を聞いていると、きっと気が楽になります。

●著者プロフィール

1951年東京生まれ。95年「地下鉄に乗って」で川英治文学新人賞、97年『鉄道員」で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、•六年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞、06年「中原の虹」で吉川英治文学賞、10年「終わらざる夏」で毎日出版文化賞を受賞、16年『帰郷」で大佛次郎賞、15年菊池寛賞を受賞。15年紫綬褒章を受章。
「大名倒産』『兵諫』「母の待つ里』など。引用:文庫カバーより

●まとめ

玄蕃と乙次郎、年齢も身分も違い、性格も正反対の二人が旅の道中でさまざまな人と出会いながらお互いを少しずつ理解していく。特にまだ19歳と若い乙次郎はこの旅で随分と変わった(成長した)と思う。流人でありながら、武士としての矜持をしっかり持った玄蕃の言葉は今の時代にも通ずることが多々ありました。生きていくうえで大事なものはなにか。自分の信じたとおりに生きた玄蕃は最後までかっこよかった。流人ではなく最後まで本当の武士でした。